そういえば自己紹介してなかったですね。
1972生まれ。昭和47。
団塊ジュニアど真ん中です。
氷河期…は微妙かな。高卒なんでその時はバブル絶頂だったので。
なんやかんやで1999年から技術もコネも無いのにIT系のフリーランスで独立。
当時の朝まで生テレビで「若者は仕事がないなら起業すればいい」とか、「ITが今熱い」とか煽ってました。いつの時代も変わらんね。そして乗せられる私。
ネット経由で仕事を見つけてくるのだけど、当然クラウドソーシングなんてものは無く、SOHOなんて言葉が少し流行ったくらい。
そのため食うために何でもやる状態に。例えば…
・アメダスのデータがペーパーに打ち出された数千行のデータ入力(当然単価超低い)
・企業の支店の機材リプレイスの派遣(単なるネットワークプリンタの入れ替え)
・個人宅のPCサポート(素人相手の低単価案件)
・IT講習会の講師(森喜朗総理肝いり政策)
・胡散臭いメルマガのラインディング(数回で休刊)
・食えないから深夜のファミレスバイトや交通誘導員(社会経験は積めました)
ハッキリ言ってフリーランスよりフリーターといった方が良いかも。
■仕事中の移動で事故
そしてYahoo!BBの設置作業の仕事でバイクで移動中に自損事故で背骨を破裂骨折。
当時はあの狂ったモデム配りで請負の設置作業のサポート業務が馬鹿みたいに振ってきて、元請けからなるべく沢山件数こなしてくれと依頼される状況でした。
地方なんで移動距離も多いです。常識的には午前午後2件ずつの計4件が精一杯なんですが、無理矢理6件回る事に。
そして移動で急いでいるところで、ある峠でカーブを曲がりきれずに転倒。仕事でバイクに乗るもんじゃないですね。しかも大型バイクでしたのでアホほど飛ばしてました。
それで、障害でデスクワーク中心の業務しかできなくなり地元のシステム会社へ。
PHPエンジニアとして2年強働くも心身を壊して退社。
その後もフリーで続けようとしましたが、エンジニアとして自分の限界を悟りリタイヤ。
その後なんやかんやで再びエンジニア復帰を目指すことに。
なんかムチャクチャですね。我ながら。
■エンジニア復帰の動機①
そもそもなぜ、20年近くブランクがあるのにエンジニアに復帰しようとしてるかというと…長くなりますね。
まず、20年もの間、なんにもIT系の情報を入れてない訳ではなく、一応最新の業界情報に触れていました。コアなPCユーザーよりは開発者目線で見てたと思います。テック系のコア情報も当然入れてましたし、PCは自作機です。ハードPCユーザーよりも詳しく、ハッカーでもないといった感じでしょうか。
そもそも、ハッカーも千差万別。STEINS;GATEのダルのようなスーパーハカーから2ちゃん底辺のスクリプトキッズまで。あと、社会に迷惑を掛けるような輩はハッカーとは言わずクラッ(以下略)
そして色々とあって先日退職した職場に 。色々ありすぎだろ。俺。
noteでは、ちょいちょいディスっていますが、基本的に良い職場です。非正規嘱託で場末のポジションだった事もあるのですけど、営業時間(15時まで)が終われば、比較的時間的余裕がある立場でした。給料は、…同年代平均以下ですが。
で、時間に余裕があるので、他の同僚はスマホ弄ったり本読んだりして時間潰してましたが、私は何か有効活用できないかと思ってました。
そんな時、仕事で定期的に作っているExcelやWordのチェック表等があるのですが、ほぼ同じ内容を繰り返し入力する仕事でした。それじゃ非効率なんで、マクロを使って自動化できるんじゃないかと思い立ち、暇つぶしを兼ねて社内開発をすることに。
同じ時期に、個人的に使うある特殊な再生ロジックを持つ音楽プレーヤーをJavaScriptで作り始めました。
プログラマーとして復帰です。大げさですが。
その折に実装コーディングでどうしても解決できなかった問題をChatGPTに解決して貰い、AIプログラミングの可能性を感じました。
その後、ハルシネーションで嘘のコードを作られたこともあって、AIプログラミングの限界も感じましたが。
■エンジニア復帰の動機②
そういうことで、サンデープログラマーとして休日はほぼ引きこもることになりました。
それまで、バイクのツーリングやレストア、ソロキャンプなどアウトドア方面の趣味から完全にインドアへ転身。久しぶりのプログラミングは驚きの連続 。
AIだけでなく、VS Codeをはじめとした開発環境の充実。
プログラミング言語の多様化。ライブラリやフレームワークの充実したエコシステム。
そしてプログラミング技術そのものの発達。
そもそも実務エンジニアとしては2年強しか経験してなかったこともあって初体験の技術が多数でしかもAIのおかげで学習コストも低減。そして自分に合った学習法で最新のプログラミング手法を学習できる。
長生きはするもんだね。
地頭悪いがエンジニア思考の性格なので今の環境はどハマりです。
先に述べた特殊な再生ロジックを持つ音楽プレーヤーをElectronで拡張再構築。古い動画を高画質化するアップコンバートツールの自作。自分向けの便利ツールの数々。
配布されているアプリケーションで済ませられる事も 、操作覚えるの面倒くさいからって事で自作したり。まぁAIありきなのであまり褒められた物ではありませんが、それでもプログラム開発に触れる事は確実に自分の中で何かが変わっていきました。
■エンジニア復帰の動機③
そうして、自分のためにプログラミングをし、アプリケーションを作っていたのですが、物足りなさを感じるようになりました。それは自分用のアプリケーションだからこそ出てしまう妥協です。
特殊再生ロジックの音楽プレーヤーでは当初JavaScriptでブラウザからローカルファイルを再生させる設計なので、曲リストデータの更新はPython製のJSONデータ変更ツールへコピペで曲情報を入力して処理。
後にElectronで機能を統合させるも、自分が使うだけだから細かいところは妥協が多数。
動画アップコンバートも単機能の連続処理を最終的に結合する予定だったが、特に困らないので、そのままCLIで運用。
その他、便利ツール類も詰めが甘い出来。バグがあっても機能的に問題ないなら放置と言うことも。
ちゃんとお金という対価を貰うことが前提のアプリケーションと比べて完成度の違いが気になるようになりました。
フリーソフトやオープンソースソフトウェアなどは、最低限のクオリティが無ければ公開しないでしょうし、有償となれば尚更です。
では、多くの無償アプリケーションのように、自分も公開を前提にしてみれば?
そう考えてもモチベーションは沸きません。
■エンジニア復帰の動機④
承認欲求ってありますよね。心理学者マズローのうんたらかんたらとかです。
簡単に言えば他者から自分をよく見られたいという欲ですな。その欲の程度によって人の行動原理が変わる物です。
インスタでキラキラアピールしてるのも、バッカッターがバイトテロするのも、誰も見てないブログでギャグ的小話入れるのも全て承認欲求の度合いで説明つきます。
ちなみに最後のパターンは僕ですね。
で、どうも私は人より承認欲求が低いみたいで、道の駅でたむろっているバイクおじさん達のように自慢のバイクを見せびらかそうとも思わないですし、高級キャンプギアでリッチな家族キャンプをしている横でAmazonのパチ物キャンプ道具でソロキャンプしても平気ですし、おしゃれは好きですが似合わないハイブランド物で着飾っている金持ち風の中年男性を見ても全く羨ましく思いません。
ですので、出来のいいフリーソフトを配布して賞賛を貰おうという動機も出てきませんし、OSSのコミュニティに貢献しようとも思わないのです。
…敵が増えそうなコメントですが。
ITエンジニアの無償の開発動機が承認欲求で全部説明できる訳ないですし、全員奉仕の精神でオープンソースプロジェクトに開発者が参加してる訳でもないでしょう。
それぞれに動機はあると思います。
で、自分のプログラム完成度を上げようと思えば、やはり一般公開して他者に見て貰い、使って貰わなきゃならんと思ったのですね。
ですが、フリーやオープンではどうにもモチベーションが沸きません。承認欲求が低めなのが原因と思います。
それでカンパウェアでもいいので、なにかマネタイズした物をリリースする方向性で考え出すとみるみるモチベーションが上がるではないですか。現金な物です。
お金の問題ではないのでしょうがね。ただ、対価を払って貰う限りは下手な物は出せないという気持ちの方が大きい気がします。
ちょうどその頃、務めていた会社の人事制度が大きく変わり、副業規制も緩くなると言う情報が入りました。
何というタイミングでしょう。天は私に再びエンジニアとして頑張りなさいと言っているようではないですか。
■副業を模索するも…
その肝心の副業規定ですが、緩くはなったと言っても厳しい物でした。
SNSでの発信はNG。当然YouTuberもVTuberもダメ。請負仕事禁止。どこかの事業体に所属もアウト。
この条件だと個人開発でシェアウェアなどをリリースするのが精一杯。でもSNSでの宣伝活動もダメ。ブログも商売が絡む物は公開禁止。
小説の執筆活動している人向けの規則なんでしょうか?
仕方ないです。公共性の高い職業ですので、コンプライアンス面で非常に厳しいのです。
それでも当初は前向きに制度を活用する気で当時の上司と面談を重ねていました。その上司も面倒くさいであろうに、私の希望を聞き入れて少しずつ準備を進めていました。
いい会社ですよね。何で辞めたんでしょ私。
ですが、その上司が転勤することになり、引き継ぎ等の準備のためにしばらく話が進まない日が続きました。
そうすると、上記の条件での活動は難しいのではと思うように。1年ごとの見直しがあるのも気になりました。
その後、後任の上司との面談で副業の件を持ち出されましたが、その時はすっかり副業可能な会社への転職へ気持ちが変わっていました。
話が滞っていた間に転職支援サイトに登録すると、エンジニア採用の企業からお誘い通知が馬鹿みたいに入ってくるのもきっかけでしたが。
後任の上司の方もいい人で、残念がってましたが、私の挑戦を応援してくれることに。
本当にいい会社です。何で辞めたんでしょ私。
■SES会社との面接ですっかりその気に
先日辞めた会社は6年ほど前に入社したのですが、その時の転職活動でも転職支援サイトを使いました。
私の経歴に雇われ居酒屋店長5年という物があるのですが、その影響からか飲食業界からのスカウトがいっぱい来ました。
飲食店業界の厳しさを知る自分は、当然その業界へは進まなかったのですが、今回の転職活動ではスカウト先の業界が様変わりしてました。
飲食業界からの誘いもありますが、大半はIT業界からのスカウト通知。
確かに、経歴上は実務経験ありですが、20年前です。
実績に所属会社でのVBA組んでいた事やサンデープログラミングの事を記載していましたが、それにしても異常です。JAVA学習中と書いてますが、何で金融系の基幹システム運用保守の案件が来るんだ?
最近の転職支援サイトはAI使っているのはわかってますが、それにしても50過ぎの経歴微妙おじさんへのお誘いとは思えません。
IT業界の人手不足は噂で聞いてましたが、これほどまでとは…
そして、妥当と思われるSEO会社を中心に応募を開始。当然バンバン落とされますが想定内です。
世の中そんな上手くいく訳ないです。
しかしまあ、AIで作って貰った職務経歴書を、AIがクロールして見つけスカウト通知が飛び、私はAIで作成した応募メッセージを送り、AIから不採用メールが届くという、さながらウクライナ戦争のドローンサイバー戦争のような様相に。これで良いのか転職市場?
その間にも転職支援会社からの営業メールも届くので、私のメーラーは常に転職関連で一杯に。
ついに確認が面倒くさいので、ChatGPTなどのAPI使ってメールの自動振り分けをしだした私。なんじゃこりゃ?
そんな喜劇のような状況でもいくつかSES企業さんから面接の機会をいただきまして、5社ほど受けました。
結果は不採用。まぁ分かってましたけどね。
皆さん一様に「意欲は買うんだけど実務経験が…」といったニュアンスでした。
でもSES企業に不採用となることは想定内で、期限を決めて応募してました。ワンチャンあるかもしれないというスケベ心です。
その後は業種を問わないで副業可能な会社への求人応募に切り替えるつもりでした。
ですがね。無理と分かっていても、期待しちゃうんですよ。
面接の場で「アサインできるとしたら金融系かなぁ。。。」なんて言われると、その後、
「金融系じゃAIプログラミングは難しいな。VS Codeも無理だろうし。ん?VisualStudioはコード補完が使えるのか?GitHubCopilotみたいにコーディングできそうだな。いけるか?」
なんて考える訳ですよ。
5社目の面接を受けたSES会社からの落選メールを受け取った時には、すっかりITエンジニアとして歩むことに変心してました。
■猶予は18ヶ月
こうしてフリーランスエンジニアとして歩むことを決心しました。本当に行き当たりばったりですね。
でもいいんです。大谷翔平選手のように曼荼羅チャートで人生設計して努力しても、必ず成功する訳ではないですし、自己開発セミナーで洗脳されて成功の法則を実践しても、能力に見合った目標を立てなければ、それは法則でも何でもないです。
私も一人の男ですから立身出世を目指し、自分で作ったビジョンシートに沿って努力した頃もありました。
でもね、ぜーーーーーーんぜん上手くいかないんですよ。努力が報われた事なんぞありゃしない。
逆に明確な目標立てずに、されど手を抜かず生き始めた頃から状況は良くなってきたんですよ。
生活保護もらわなきゃならん所まで落ちぶれたのに、開き直って充実した人生を送ることだけを目標にすると心の面でも所得の面でも浮かび上がったんです。
そりゃ、収入面で言えば弱者おじさんですよ。所帯も持てませんでしたし。
でもね。今こうして無職ではありますが、何気なく、でも手を抜かず生きてきたことがエンジニアへの復帰という最高に面白くてエキサイティングな状況を生み出しましたし、自分の新たな可能性も見えてきました。
ですので、弱者男性ですが大変充実してます。他人には絶対お勧めできない生き方ですが。
あと、状況的にフリーとして個人事業始める条件が揃ってたんです。
法改正で失業給付貰えるまでの待機期間が、自己都合退職でも1ヶ月に短縮。障害者なので求職困難者として失業給付を貰える期間が1年。以前フリーで活動していた頃とは違い、クラウドソーシングなどの仕組みも充実。AIのおかげで私の学習コストが大幅に下がり、個人での開発環境も文句なし。
それに加えてバイク買い換えのために貯めていた資金もあるので、18ヶ月は無収入でも耐えられる計算です。わたし貧乏耐性ありますし。
それに、どうせあのまま会社にいても60歳過ぎれば給料下げられるし、長く働いても65歳まで。年金受給は75歳まで繰り下げなきゃ暮らせないので、その後の10年はフリーターですよ。いまからフリーランスで活動しても誤差ですよ誤差。
人生100年時代と言われてます。50歳としたらあと50年人生生きなきゃいけません。
挑戦のない人生など死んだのも同じ。精一杯あらがいます。
このブログを最後まで読んでくださった物好きな方。私の挑戦を生暖かく見守ってください。